今日は空に雲が広がっているせいか、書斎の窓から涼しい風と、澄んだ鳥の声が吹き込んでくる。なぜか今朝は夢と夢の間にぼんやり目覚めたときに頭に抹茶羊羹のイメージが浮かんできた。抹茶色の、四角いかたまり。確かに日本から抹茶羊羹を持って帰ってきて、食べたけれどなぜそれが今浮かんでいるのだろう。

というところまで今朝日記を書き始めたが、午前中の予定が始まるまでにあまり時間がなく、家の中が散らかっていることが気になり、片付けに取り掛かった。あれから4時間ほど経ち、太陽は随分高い位置に昇っているが、広がる雲に遮られ、日差しはそこまで強くない。

今、オランダに帰ってきてから、自分自身に随分と感覚の変化があったということに思いを巡らせている。オランダから帰ってきた直後、確かに私は、とても澄んだ、かつ細かい網目のセンサーを持った感覚とともにあった。内臓の微細な感覚を捉え、視覚と聴覚、イメージはとても近いところにあった。思考ではなく感覚がかなり優位になり、表現への好奇心が大きくなっていた。それが、振り返ってみると、満月を迎えた頃から、随分と感覚が外に向くようになっていた。(表面的な)思考は働いている、しかしそれに伴って、感覚や感性には影がさしてしまっているような感じだ。

これは、気温の変化や月の満ち欠けの影響、そしてオランダという環境への慣れからきているのかもしれない。せっかく感じた感覚が遠のいてしまったことは残念だ。あの、言葉になる手前の、境目のない感覚をもっと感じられるようになることが次の自分のステップだと思っている。もちろん微細な感覚を感じられるようになることは、良いことばかりではないだろう。これまで以上に、自分の心に嘘をつくことができなくなり、人との関係性や仕事もこれまで通りではどこか心地悪くなるかもしれない。それでも、そんなことも含めて、より人生が味わい深いものになり、それが自分が望んでいることだという気がしている。

そしてそういえば、身体の細かな状態には心や思考に比べてこれまであまり目を向けてこなかった。呼吸の速さや深さ、身体が縮こまっているか伸びているか、どんな姿勢をとっているか。鼓動の速さはどうか。喉の渇きはどうか。今の私は、外的な環境が自分に与える影響が大きいと思っているが、実際には何が起こっているのか。しばらく、身体に注意を向けてみようと思う。2019.4.23 13:32 Den Haag