イースターの祝日ということで、今日は日中、家の周りが静かだったが(それは隣の保育所がお休みだからか)、18時を過ぎる頃から、また中庭が賑やかになってきた。向かいの家では今日もバーベキューパーティーが開かれるのだろうか。

今しがた、家の周囲を15分ほど歩いてきたが、そんなに腕や身体を大きく動かしたわけではないのに手先足先がぽかぽかしている。それほど、一日中、椅子に座って血流が悪くなっていたのか、身体の変化を感じやすくなっているのか、きっとどちらもだろう。ヨーロッパに来て、自分でもビックリするくらい日常生活では出不精になってしまったが、外に出るとそれはそれで、毎回、街や人の様子に刺激を受ける。今日は、少し甘い、花の香りがしていた。いくつかの家の軒先には藤の花が咲いていたが、あの香りは藤の香りだろうか。通り沿いの家の前に置かれたベンチにはおばあちゃんたち、小さな子ども連れの家族、そして中年のカップルが腰掛けていた。目が合うとにこりと微笑み、挨拶の言葉をかけてくる。ドイツは、小さな町では道ゆく人が挨拶をしてきたが、フランクフルトのような大きな街では(街外れの住宅街でも)挨拶をされることはほとんどなかった。ハーグくらい、そこそこ大きく、外国人も多い街でもあんな風に声をかけてくれるのは、やはりオランダらしさなのか。(さすがにアムステルダムでは今のところそういう経験はないが)道路を渡ろうとすると、車を運転している人がどうぞと手を差し出してくれる人も多い。自転車道を高速で進まないといけないスリルを抜かせばやはりこの街はとても快適で暮らしやすい。

昨日、自転車で帰ってきたとき、ちょうど太陽がオレンジ色に染まり、沈むところだった。驚いたことに、私がてっきり北だと思っていた方向近くに、太陽が沈んでいた。ということは、我が家のリビング側の窓は北西向きで、中庭側の窓は南東向きということになる。どうりで朝日や、今は月のあかりが、書斎の窓から差し込むはずだ。大したことではないように思えるが、私の中では、随分とショッキングな気づきだった。自分が南に進んでいると思っていたら、そちらは南東だった。つまり進行方向が45度も目標よりもずれていたというような驚きだ。自分がこちらだと思っている方角がずれていた場合、どんなに頑張っても目的地にはたどり着かない。しかしもし、太陽や月のように方角の指針になるものがなかったら、どうやって自分が進んでいる方角の確からしさを確認できるだろうか。太陽や月の姿が見えなくても、木々や風の中にはきっと、方角の目安になるものが含まれているだろう。もし、それらもなかったとしたら。そこで頼りになるのは自分自身の身体と心の感覚なのかもしれない。大きく方角を定める感覚、そして日々為していることがどちらに向いているかを確かめる感覚。正しい方向に進み続けるというよりも、そのときそのときの、感覚に耳を傾け続けることが重要なのだろう。

例えば食や物についてもそうだ。目の前にあるものが、表示されている通りの内容とは限らない。どんな人の手を渡ってきたかで、持っている気が違うときもある。結局は、その瞬間瞬間に感じられる自分がいるかどうかだ。出不精かつ、家が心地いい。色々な言い訳ができるけれど、せっかくあたたかくなったのだから、同じ道を歩くにしろ、毎日少しでも外に出て、そこにある空気を感じていようと思う。2019.4.22 20:00 Den Haag