ここ数時間、ソファでうたた寝をしていた。このままベッドに場所を変えて寝てもいいかと思うくらいだが、うたた寝の間に見た夢、そして今日のことを少しでも書き留めておこうと思う。

先ほどまで見ていた夢の終盤、誰かに電話をするのと同時にグラグラと地面が揺れた。というより自分がめまいがしているんじゃないかと思うようなあの、地震特有の感覚を感じたのだった。電話の相手の男性に地震があったことを告げ、今日は一緒に夕ごはんを食べようということになった。その前にその日既に一度会っていたその男性からはコンビニの鍋セットみたいなものやいくつかの食べ物が入った袋を渡されていた。私はどうやら東京にいるらしく、飲み物を買いたいので近くについたらまた連絡を欲しいと伝えて電話を切った。

覚えているのは夢が終わりかけている部分だが、全体としてそう長い夢ではなかったと思う。しかし、電話をしようとしたところで地震があるというのは、夢の中で、割と強い体験だった。(起きてみると、夢の中で感じたほど強くは残っていない)

薄青がかった、あえて色をあてると秘色色(ひそくいろ)がかった空の下にある斜め前方の家の空いた小さな窓に目をやると喉に白い模様のある黒い猫のシルエットが目に留まった。そしてその猫は、もうもう一つ上の日本で言う3階のベランダに移動し、見えなくなった。中庭で遊ぶ猫たちは、家と家の間を自由に渡り歩きながらも、毎日同じ家に帰っているのだろうか。もし私がここで家を飼ったとしたら、その猫はこの家をどうやって見分けるのだろうか。毎日ここに帰ってくるのだろうか。そんなことを考えてみる。

昨日の朝、上の階にすむアナさんから「玄関に置いてある卵(小さな卵型のチョコレートがたくさん入った)のバスケットはあなたたち(階下に住むオーナーのヤンさんと私)へのものです」というメッセージが届いた。内階段でつながるこの家では、夕暮れ時に誰かの作る料理の匂いがしてくるときがある。朝も誰かが起き出す音がする。(上も下も静まり返っていることも多いが)誰かの暮らしをなんとなく、環境の一部として感じることはどこか安心感のようなものがある。中庭もそうだ。あかりがついている家、おそらく私と同じようにひとり暮らしをしている家。どんなに静かでも、誰かの暮らしがそこにあることをほどよく(時には昨日の夕暮れ時のバーベキューのように強烈に)感じることは、何か自分が、大きな有機体の一部になったような感じがして、それに、ほっとする。そういえば昨日は随分と賑やかな時間が21時頃まで続いたが、それでも周囲の家が何食わぬ様子だったのは、中庭で賑やかに過ごすのはお互い様で、夜遅くならなければ許容し合うような、そんなグランドルールみたいなものがあるからだろうか。もしこれから毎週金曜の17時すぎはあんな感じだとすると少し悩ましい気もするけれど、そこはもう割り切って、自分もゆったり楽しくすごす時間にするのもいいかもしれない。2019.4.20 21:27 Den Haag