暗闇と静けさが同時に降りてきた。1時間ほど前のことだ。そして今、向かいに連なる家々の随分と南寄りの場所からほんの少しオレンジがかった丸い月が顔を出し始めた。

今日は17時すぎたころから向かいの家の庭でバーベキューパーティーのようなものが始まった。香ばしい香りの煙が立ち昇り、同じように、子どもたちの声が宙に舞っていた。ざっと数える限り、20戸以上のレンガの家がくっついて並び、中庭をはさんで向かい合っている構造上、1つの庭での賑やかさは、中庭全体としての賑やかさに拡張される。夕方過ぎに家で仕事をしようものなら気が散って仕方ないところだが、今日のように(既に半袖でもいいくらいの)天気な金曜の夕方に自宅で仕事をしようという考えの方がこの国では特異なのだろう。子どもはガーデンハウスの屋根に登り、その後は、音楽に合わせて賑やかに歌う歌声が聞こえてきた。おそらく、こういうときに歌われる定番の(少し前の、もしくはとても古い)歌謡曲的な歌なのだろう。大人も子どもも声を揃えて歌う声を聞いたときに、私は本当の意味でこの国の人にはなれないと思った。金曜の夕方の家族との過ごし方、友人やその家族との関わり方、そして人々が集まったときに歌う歌。幼い頃から染み付いているものが、この国の人々にはあるのだ。たとえ、あの歌が、オランダに住む友人たちと声を合わせて歌えるようになったとしても、「こうしてこの歌を幼い頃から大人たちと声を合わせて歌ってきた」という原体験は身体の中に存在しないのだ。しかし、だからこそ、ここにいることの喜びを感じ続けられるのかもしれない。私はもう、おそらく、小さな頃に体験した、無意識の中にある日本での慣習を、再体験して懐かしむということはなく、常に異国人としてある自分を感じ続けるのだろう。それが母国を出て暮らすということなのだ。

実際のところ月は、今日の日本時間の20時すぎ、9時間ほどの満月を迎えたようだった。雲がかかっていないせいもあり、確かに今日のほうが昨日よりも眩しい輝きを放っている。1ヶ月前の私は何を考えていたのだろうと日記を見直すと、318日には「ひかりとあかり」について考えていた。ちょうど月が満ちていく頃、そんなこととはつゆ知らず、でもひかりについて考えていたというのは興味深い。身体は無意識に、でも確実に、自然を感じているのだろう。今日は昼過ぎに打ち合わせが終わってから、目の前の作業に集中していたものの、それでも時間がゆっくりと進んでいるように感じる、やろうと思ったことがだいぶはかどった午後だった。思ったより時間がゆっくりと進んでいるように感じるということは、思ったより目の前のことに取り組むスピードが速かったということだろうか。その分、強い眠気が出だしている。しかし今日はこのあと、日本の朝の時間に合わせたセッションの予定がある。軽く仮眠をし、読書をし、セッションに備えることにする。2019.4.19 22:47 Den Haag