今日は夜の空が青い。そう思った側から、青にグレーが混ざった。昇りつつある満月が雲の向こうに透けて見える。数日でこんなにも月の形が変わるように、私の身体も昨日の腹痛と腰痛がなんだったのかと思うほどケロリとしている。

今日の夕方は、オーガニックスーパーに行った後に少しだけ書と向き合った。筆を持つと、いかに自分が、目の前の一本の線を引くことにさえ集中していないかということを思い知らされる。そして、どんなに繰り返し、意識しても操作できないものがあるということも。ただこれはもしかしたらもっと鍛錬をすれば変わるのではないかと思っている。その瞬間に感じているものを身体を通じてアウトプットするという点において、二度と同じものは書けないとしても、その行為やプロセス自体の再現性というのを身に付けたい。それは、対話において、その瞬間に向き合うものを身体に取り込む行為と似ていると思う。

こう書いている間に手の先があたたかくなってきた。眠りに向けて身体が何らかの調節を始めたのかもしれない。今日はオーガニックスーパーで見かけたクスクスに目が留まり、調理をしてサラダとして食べた。調理と言っても沸騰したお湯をかけて混ぜ、10分待つだけ。簡単な割にお米のような感覚で、でもお米よりももっと自然な食感というか、食道感覚で食べることができた。夕食の際にあたたかいスープやお茶を飲まなかったけれどこうしてしっかりと体温が上がるというのは興味深い。あたたかいというのはある意味一時的な状態で(あっという間に冷えてしまうお湯は身体をあたためるどころか冷やすのではと思っている)、やはり物そのものが持つエネルギーと身体との相性というのが大事なのだろう。

そうこうしているうちにあっという間に空が黒くなった。月白(げっぱく)という色は薄い青みを帯びた白のことだが、今日の月はそうではなく黄色味を帯びた輝きを放っている。その手前を、カモメの形をした黒い凧がゆらゆらと舞い、東の空には、うっすら赤みを帯びて瞬く星が昇っている。満月の夜にあれだけ輝いて見える星というのはよっぽど明るい星だろう。そういえば先日訪れた星野村で、星が瞬いて見えるのは大気があるせいだと教えてもらった。だから宇宙空間から見る星は瞬かないそうだ。「星が瞬いて見えるというのは、私たちが地球にいるという証なんです」そう話す彼の目は、宇宙空間から見える瞬かない星を思い描いているようだった。

いつもは夕暮れ時(といってもすっかり明るくなったが)家族揃って食事をしている姿が言える向かいのリビングで、今日は父親が一人食事をしている。一人で食事を摂る姿がどこか寂しさを含んでいるように見えるのは、私が一人で食事をするときにそういう感情を持っているからだろうか。一人の食事は栄養素を摂取するに過ぎず、愉しみはまだそこには見いだせていない。美しいものをどれだけ見たとしても、美しいものを見たときに美しいねという言葉を聞く喜びを超えることはないだろう。それが当たり前になってしまうことは、寂しいことであり、それはそれで美しいことであるようにも思う。そしてその喜びが幻想だったといつか気づくときが来るとしても、共鳴する微かな音がそこにあるであろうことに耳を澄ませ続けたいとも思う。

「望」とも呼ばれる満月は、人に何を問いかけているのだろう。

2019.4.18 22:07 Den Haag