やはり椅子に座ると腰が痛い。それでも、1日の終わりに何かを書き留めておこうと思うのはこの日記を書くという行為が日々の中になくてはならない日課になっているのと同時に自分の意識と無意識とその間の領域にとって何か重要な役割を果たしているという実感が生まれてきているからだろう。そして、私に日記を書くことを勧めてくれた友人をはじめ、日々粛々と、自己と向き合う活動を続けている人が世界のどこかにいるということも励みになっている。直接対話をするという以外に日記を通じて自分以外の思考やライフスタイルから学びや影響を受けられるというのも、目が眩むほど何かを誘導する広告たちの溢れた一般のインターネットの世界に入ることをできるだけ避けたい私としてはありがたい気づきでもある。

先ほどまで鳴いていた鳥の声が止み、窓から見えるカモメの形をした黒い凧は風に煽られては舞い上がり、そしてまたポールの根元に向けて降りていくことを繰り返している。

毎月のことながら、そして身体が生まれ変わっている印とは言え、特にこの腰の痛さは悩ましいものがある。食事をしても痛む、横になっても痛む。この1日だけどわかっているものの、数時間が永遠のようにも思えるほど、そこに感覚が向かい、思考が引っ張られていく。身体が冷えるからとあたたかい飲み物を飲むと、それはそれでお腹が痛くなる1日だった。困ったことがあると原因が探りたくなるものだ。

調べてみると中医学で言う「瘀血」という、血の巡りが悪くなっている状態というのがあてはまるように思った。結局はストレスと、日々の運動、食生活の影響ということのようだ。この1ヶ月の過ごし方がこの期間に出てくるということか。もしくは目的論的に考えると、身体が休息する理由を作りたがっているのか、もしかしたらこれからの食生活や運動に対する意識を上げさせるために痛みという方法を使っているのかもしれない。

日本にいると簡単に医者にかかることができるけれど、必ずしもそれが身体が本来持つ力を発揮するためにはよくないのかもしれないと思う。医学的に分類される名前や対処療法的なものを与えられてそれを信じ切ってしまうのではなく、身体の声に耳を傾けられるようになることで、未病の状態から健康な状態へと自分で自分を導いていくことができるようになるのだと思っている。そう考えると、ある意味1ヶ月に1度、強制的に身体がダメージを受けるというのは、身体の状態をモニターするいい機会なのかもしれない。

明日、満月を迎える月は南南東の空に眩しく輝いている。左側が少し欠けているはずだが、ほぼまん丸に近い。そこに見える模様は兎というより、左のはさみを持ち上げた蟹が横向きになっているように見える。目を逸らしてもその光が網膜に残っているくらい、月の光も明るい。ここのところ、日本に行っていたこともあり、月を見上げるということはしていなかった。(遥か彼方の星の光に思いは馳せたけれど)これから1ヶ月間は、自然のリズムを感じて日々穏やかに呼吸を繰り返し、そしてまた次の満月を迎えたい。

今日新たに出会った言葉で心に留まったのは「気脈」という言葉だ。日本から届いた書(正確には習字)のお手本の中に「画間に気脈を通して書きましょう」とあった。気脈とは、「実際にはつながっていない線や点の間に気持ちの繋がりがあること」なのだと言う。目には見えない部分にも気持ちの繋がりを感じ続けること、気脈を通すというのは何においても大切なことのように思う。最近、自分の手で何かをつくることへの意欲が湧いているが、まずはすでに取り組んでいる書の中で、この気脈を通すということを意識して訓練したい。今は特に、楷書の古典である「雁塔聖教序」ののびやかで美しい字体に惹かれている。書の面白さは書いた人の息遣いを体験することができることだという話を聞いたことがある。書を通して、言葉の意味を、そして人の思考や思想を再発見することを続けていけたらと思う。2019.4.17 21:47 Den Haag