気づけば空は薄雲に覆われ、珍しくたくさんのカモメが上空、かなり高いところをぐるぐると飛んでいる。隣の保育所の庭の花壇の上で真っ黒い大きめの猫とそれよりは少しだけ小さい足前足の先の白い猫が見合っている。そういえば昨日もガーデンハウスの屋根の上でまだらの柄の猫が見合っていた。

朝、胃のあたりに感じた重みはなくなっており、少し前まで感じていた身体の熱っぽさもおさまってきている。今日はまだお茶も淹れていなかった。このあと、昨日と同じ牛蒡のお茶を淹れようと思う。牛蒡のお茶は前回、昨年の秋に日本に行ったときに購入したものだったけれど、その後日本から送ってもらったヨモギのお茶を飲むことが多かったためいっとき口にしていなかった。それが昨日のお昼過ぎにお茶を淹れる際に牛蒡のお茶に手が伸びていた。経験上、牛蒡のお茶を欲するときは、エネルギーが欲しいときだ。カフェインのような鋭い強さではなく、牛蒡のお茶からは穏やかな大地のエネルギーをもらうことができる。地球とつながり、自分自身の芯ともつながりたいときに飲む、そんなお茶だと感じている。

お茶のことを考えながら、同時に火のことが思い浮かんでいた。日本滞在から帰るとオーナーのヤンさんがキッチンのガスコンロをIHに交換してくれていた。確かオランダでは数年以内に全てのガスコンロをIHもしくはガスを使わない方式に変えることが通達されているのだったと思う。確かにガスは資源の限りや、火災の危険性があるとは思う。しかしあの電気的な波の音が私はどうも苦手だ。とともに、今なんとなくエネルギーが不足している感じがするのはオランダに帰ってきてから火を通したものを食べていないからかもしれないと思った。書斎の窓から木々や動物たちの姿に目がいくのは自然や生命のエネルギーに惹かれるからだろうか。牛蒡茶も、できればうちにある焙烙という焙じ茶を焙煎する小さなフライパンのような器具で少し火を入れて飲みたい。IHでも使えるが、あの実際の炎には何か力があるように今感じている。日本から大事に持ってきたアルコールランプの中に入れるアルコールをドイツでは見つけられずじまいでオランダのキッチン用品店でも見つけられなかったけれど探してみようと思う。

今、もっと外に、特に自然を感じる場所に出て行きたい自分と、それを引き止めている自分がいるように思う。後者の自分はいわゆる仕事を中心とした、世間一般にイメージされる、いや、世間一般に納得をされる日々を過ごしている自分だ。しかし、そもそも世間一般とは何なんだろうか、そんなものはおそらくなくて、少なくともオランダで暮らしてまで気にするようなことでもないということも分かっている。もっと外に出て行ったからといって誰かに対して貢献をするということがなくなるわけでもなく、むしろそうしているからこそ、自分自身が透き通った心と身体でいるからこそできることがあるということにも気づいている。今は溜め込んだものを自分のためだけではなく、それを必要とする誰かに役に立ててもらいたいという想いがある。

火を失い、あまりに元気をなくしてしまっていたかと思っていたので、こうして言葉にしていき、自分の中に消えない炎があることに気づき、少しほっとしている。一瞬が永遠になり、永遠が一瞬になる。一部が全体になり、全体が一部になる。最近はそんな感覚を繰り返し感じている。2019.04.12 19:40 Den Haag