20時を回ろうとしてるが、まだ中庭の西の方鳴く澄んだ鳥の声が、時折重なり合って聞こえてくる。そういえば先ほど日記を書いているときに、五感の話が頭をよぎったので書き留めておきたい。日本で購入した雑誌の一つ(確かWIREDだったか)に、人間が感覚を五感に分けたことの功罪のような話が出てきた。本来人間の感覚はもっとたくさんあり、接し合い、重なり合っているという話だったように思う。最近の自分自身の感覚を思い出してみると確かに五感と明確に区切ることのできない感覚に出会っている。音は映像とともに浮かんで来て、シーンとして表現されることがあり、映像には音が伴う。これは世間的には共感覚と呼ばれるものだと思うが、一部の特別な人にだけ感じられるものではなく、誰もが体験していることのように思う。それを成長の過程で五感という区切られた枠組みの中で表現せざるをえなくなっているのではないか。

思えば、美術の授業では見たものを絵に表すということをやってきた。確かに美術の授業という枠組みではその必要があったのかもしれないが、自分が受け取ったものを表現するという点では、それを音楽で表現してもいいのではないか。詩を書いてもいいのではないか。

そういえば、と、幼少期の体験が頭をよぎった。小学校低学年のときに通っていたシュタイナーの教室でのことだ。おそらく当時まだ福岡にできたばかりだったその教室は住んでいた団地とは別の団地の公民館の一角で開催されており、私は毎週水曜日の夕方、自転車でそこまで通っていた。シュタイナーの教室と言っても、当時の私にとっては絵を書いたり、おにごっこのようなことをしたり、お話を聞いたり、ろうそくを作ったりする遊びの教室だった。その中の一つとして、先生がお話をしてくれて、その後絵を描くというものがあった。シュタイナー教育で取り入れられている「にじみ絵」と呼ばれるものだ。水に浸した画用紙の水分を拭き取り、そこに2色か3色の絵の具を垂らす。

ぼんやりと記憶はあったものの、どんなものだったのだろうと検索をして、先ほどの段落を書きながら見つけたページを見ていたら涙が出てきた。 https://www.color-cosmos.net/にじみ絵/ シュタイナーの教室での体験が今の私の土台の一部となっているのだろうと思ってはいたけれど、こんな風に表現をする機会をもらっていたとは。そして「一人ひとりの子どもの生命のかがやき」という言葉に目が留まった。まさに今日、対話の中で口にした言葉だった。「人の持つ輝きを信じている」この、信念とも言える想いは、自分自身がもつ生命の輝きを信じて接してもらっていたという体験から来ているに違いない。そうやって育ててもらったということに感謝という言葉では言い表せない気持ちが溢れてきた。

せっかくオランダにいるのだから学べることをこれから学んでいきたいと思っていたけれど、シュタイナー美術教育のことも含め、芸術というか、表現するということと人間が本来持つ輝きを発揮するということのつながりを見つめていくということが今やりたいことなのかもしれない。理論的に社会構造にアプローチしていくというよりも、とにかくそれぞれの人が持つ輝きを見出すことに立ち会っていく。おそらくそれが私に合った形であり、私は構造を作り変える力を人は持っているのだと信じているということだと思う。2019.04.11 20:51 Den Haag