1時間ほど前に終えた対話の時間の余韻が残っている。この間私は以前日本でもらった煎茶を淹れ、そして今回日本で買ってきた抹茶の羊羹を食べた。そして散歩がてら近所のアンティークショップを訪れ、そして今書斎に戻ってきた。食べ物を取り込み、外気に触れたものの、内臓の、あえていうなら大腸のあたりがあたたかい。お湯が沸くのが待ちきれず、シリアルに冷たい牛乳をかけて食べたこともあり、単にあたたかい飲み物が身体に入ったから感じるあたたかさとは違うのだと確信する。幸せを感じるホルモンは腸でつくられると言うが、今まさにそんなホルモンが腸にいるような気がしている。この感覚をもとに、人と人が対話をすると何が起こるのかを、いや、今日何が起こったのかを私なりに紐解いてみたい。

物理的に同じ空間にいる人と話をすると、口から発された言葉やそこにある情報だけでなく、例えば心臓の鼓動、体温、匂いなどが空気を通じて双方に伝わるように思う。例えば脳波やオーラのようなものも同様に伝わり、言葉以外の視認できないものの総体が「気」と呼ばれることもあるかもしれない。物理的に離れた場所にいる人とインターネットを通じて会話ないし対話をする場合、言葉や情報以外のものは科学的に考えると伝わらないと言われるだろう。しかし実際には、この時間は確かに、言葉や情報以外の多くのものが物理的に離れた人間の間を行き来していた。行き来というではなく、もしかしたら量子力学で言われるところの「量子のもつれ」と呼ばれる物理的に離れた2つの粒子が何の媒介もなしに同期して振る舞う現象にが起きるのではないか。仮にこれが脳内もしくは人体の中で起こるとすると、それはその瞬間に起こっていること、そしてもっと時間軸を引き延ばしてみたときに起こっていることに関係があるように思う。

人の話を聞く、ただ単に聞くというのではなく、自分自身が体験的に聞くというのは、相手が持つ意味世界を自分の中にも展開させるだけでなく、自分自身の固有の意味世界をも同時に広げていく行為のように思う。その二つは厳密に切り分けることができず、自分自身の固有の意味世界の中に、仮想の他者の意味世界が作られるとも言えるかもしれない。そしてその、作られた意味世界を取り出し、相手に渡してみる。そうするとさらにそれを相手がそれを自分の意味世界の中に取り込み、そしてまたそれを取り出して渡してくる。この行為を繰り返していると、次第にそれぞれの持つ意味世界の境界が曖昧になり、(ここから一気に飛躍するが)量子のもつれを起こすような特殊な状態がつくられるのかもしれない。そして量子力学ではこの量子のもつれを起こす2つの量子は1対の光子で観測されていると言う。それは単なる2つの光子ではなく、1対というだけに、あらかじめ何らかの関係性を持った光子であることを意味している。人間におきかえると、既に物理的に同じ場を共有した際に、何かのきっかけで呼応しあうものが埋め込まれ、もしくは生成された状態になっている。もしくは物理的に同じ場を共有したことがなくても、例えば母国外での生活や死の体験など共通した経験を持っていることが前提のように思う。そして人間の面白いところはそれが、特定の相手にだけ起こるのではなく(もしかしたら、細かく見ると2つとして同じことは起こっていないのかもしれないけれど)、様々な相手や、時に時間と空間を超越した他者・自分自身とも量子のもつれのような現象が起こるのではないか。

ここまで書いて、もはや自分がなぜ人と人との間に起こることを物理現象で表現しようとしたのかも分からない。たまたま先日読んだNewtonで「無」について取り上げられていて物理学に興味を持ったものの、量子力学で扱われる現象についてきちんと説明できる知見があるわけではない。思うに今、私には、人間とその間に起こることについて、心理学や人間科学的な観点からではなく、全く違う分野から説明したいという欲求が生まれていたのだと思う。自分のことながら、今この現象について興味深く感じている。これも、今日の対話で刺激された何かが引き起こしているのかもしれない。

日記を書くという行為は私にとって意識と無意識の行き来のように思う。書き始めは自分の内面もしくは外界に意識的に意識が向けられ、それについて客観的に眺めているうちにいつしかその中に入り、観察していたことを体験している。気づけばページが文字で埋まり、視覚的にそれに気づいて、自分が無意識に行った体験と思考をもう一度振り返るのである。そういえば先ほど少しの時間だけ滞在したアンティークショップでなぜだが私は棚に並ぶ物たちに手をかざしていた。そして、物から跳ね返ってくるエネルギーの違いを手のひらの感覚で観測した。そしてその帰り道、英語をとうの昔から話せていた気になり、さらにもっと美しい言葉、日本語に触れ、言葉を作り続けたいと思った。これらの行動と思考は、意識で捉えたものの、無意識の領域から発せられたものだ。これらのこと、そして内臓感覚を感じることを日々の中で行なっていきたいと思った。何が起こったかの説明は結局量子現象に置き換えるとともに曖昧なままになってしまったが、結果として今はこういう状態になっているということを認識した。
2019.04.11 18:54 Den Haag