目が覚めて時計を見ると4時半だった。薄いレースのカーテンだけひいた窓の外はまだ薄暗い。もう少し寝ようと目を閉じた後、ずっと夢を見ていたように思う。起きているという意識とともに、夢だと自覚している夢が進行する。起きているという意識さえ夢の中のものだったのだろうか。

夢の中で私は両親、妹、妹の息子と娘、そして父方の叔父叔母とともにいた。妹の娘である姪は妹に抱かれていて、妹が車の中のベビーシートに寝かせようとしていた。大きなバンのような車だった。車の助手席には甥がいたのでいつものように名前を呼び両手を開くと、同じように私の名前を呼び両手を開いてハグをした。先日福岡の実家に帰ったときに足を骨折していると聞いていたので「足は大丈夫?」と聞くと「うん」とうなづいた。車に乗ろうとしていたものの、そこで場面が変わったところまで覚えている。

7
時前に目が覚め、シャワーを浴び、ヨガをした。昨晩、ごはんに加えてパンを食べたせいか身体の中がまだ澄み渡ってはいない感じだったが、ヨガをしているうちに空腹感を感じてきた。洗濯機に洗濯物を入れ、書斎の席についた。

東の空には今日も太陽が昇りつつある。最近夜ぐっすり眠れているのは朝こうやって太陽の光を浴びているからだろうか。少し前にすれ違ったのであろう2機の飛行機が飛行機雲を作りながら遠ざかっていく。鳩の鳴き声が聞こえ、向かいの家のリビングでは誰かが掃除を始めたようだ。

オランダの家に帰ってきてからまだ3日しか経っていない。しかしもうここで、長い時間が過ぎているように感じる。時間の感じ方というのは、この日記を書くという行為とも関係している気がする。時間というのは何か自分の外側にあるもの(自分自身がアウトプットしたものを含めて)と触れ合う頻度によって感じ方が変わるものなのだろうか。東京でビルの中、人混みの中、電車の中にいるときは、自分の外側も内側も感じないようにしていたように思う。今は外的刺激が少ない環境の中でその環境に対して自分を開き、常に外界との交感が行われているように思う。頑なに引かれていた外界との境界線がゆるやかに空間と混じり合っている感じとも言える。

気づけば、耳の奥で微かな音が聞こえている。耳鳴りとは違う、夏の夜道を歩いたときに聞こえる、あの、うすぼんやり明るい暗闇と息をひそめる生物の気配が混じり合ったような音だ。そういえば昨日、セッションのときに聞こえたノイズを「白」だと思った。その前に、私は、ラベンダーの香りを流れ星の音を聞いたときの感覚を体内に再現するトリガーにするワークをしていた。音と体感覚と色、私の中に何かが起こり始めているのか、それとも取り戻し始めているのか。最近、セッションでは相手が発している声や言葉以外の音が聞こえているような気がしていたが、きっとそうなのだろうと思う。この感覚をもっと磨いていきたいと思うが、そのためには直接的に感覚を強化するというよりも、身体全体、生きるということ全体で、昨日考えた自然(じねん)に取り組んでいくことが必要なのだろう。残り少なくなった庭の木の枝に咲く白い花の花びらがひとひら、はらはらと宙を舞い、落ちていった。2019.04.11 8:20 Den Haag