今朝は目覚ましの音で目が覚めた。遠くでカラスの鳴き声が聞こえていた。東京に来て、振り返りをすることなく1日を終えてしまっている毎日が続いている。こうして朝、日記に向き合う時間がやっと自分自身に還れる時間だと感じる。

昨日は土曜日に比べて天気が良く気温も高かったので浜離宮庭園を散歩した。ビルに囲まれた、ぽっかりと都心に空いた穴のような場所。入り口に行列はできているものの、中に入れば比較的ゆったりとした時間を過ごすことができる。2年前に日本を離れる前にもこの場所を訪れていた。あのときは未来に対する確信は全くなかった。表向きにはそれらしい理由を話していたけれど、言葉にならない心の望みに従ったというのが実のところだった。今も未来に対する確信があるわけではない。でも、これまで結ってきた糸を編み、少しずつ、織物ができてきているような、そんな実感を感じるようになった。大きな外的な変化を求めるのではなく、日々の暮らしを重ね、その中で感じる美しさを織り続けていきたいと思う。華やかに開く桜も美しいけれど、静かに佇む松も美しい。以前には見えなかった景色を感じていた。

身体は日に日に重くなっている。食べている量はさして多いわけではないけれど、だんだんと血液が淀んできている感じだ。夕方すぎと24時過ぎの2回に分割される睡眠時間の合計がオランダにいたときよりも長くなっているのは身体の状態を調整するのにエネルギーが必要だからというのもあるかもしれない。人の持つ気や食べ物の影響に加えて、ライフスタイルそのものが身体に与える影響も頭をよぎる。東京に来てからの私はとにかく消費者である。あらゆる活動にお金がかかることに加えて、それらの活動からゴミを出す。1日が終わり、ゴミ箱におさまりきれずコンビニのビニール袋に入ったゴミを見ると、自分が環境を削り取るような立場にあることをつくづく感じる。人は本来もっと、何かを作り出すことのできる、いや、作り出したい生き物なのではないか。日頃やっていることは軽く料理をするとか、とても些細なことなのだけれど、何か大きな流れの中で、何かを受け取り、そして何かを受け渡す、そのプロセスの中で自然の力を借りて心身が浄化されているような気がする。

とは言え、ここにないものはない。ないものを嘆いて、遠く離れた地にある暮らしを想っているだけでは、それこそ心の入っていない虚ろな身体がふらついているだけになってしまう。それがどんなものであっても現実に目を向け、その中にある光を探すことをできる力も、人間は持っているはずだ。今日もまずはお茶を淹れて、外の世界に出て行こうと思う。2019.04.01 8:27 Tokyo