東京の朝は騒がしい。それは単に電車や車、人の行き交う音が聞こえるというだけでなく、立ち上る様々なエネルギーがぶつかり合い、層となって、和音とも不協和音とも言える音を立てているようなのだ。この街で何かとてもエネルギーを使う感じがするのは、人の多さとともに、人が纏う気、そして場に集まる気の変化が大きいからだということにも気づく。街の中で、建物の中で、気の溜まり場のような場所がある。それを生み出すのは、地形とそして建物の構造なのだと分かった。

オランダは平らだ。急峻な山が少なくなだらかな地形だと思っていたドイツ中央部に比べても圧倒的に起伏が少ない。電車の窓から山らしきものを見た記憶もほとんどない。長崎にはオランダ坂と呼ばれる坂がいくつかあると言うが、実際にオランダに住んでみると「オランダ」+「坂」の組み合わせの違和感をものすごく感じる。というくらい、オランダは街の中も外も平らなのである。そして高層ビルや地下街のようなものもほぼない。オランダを出て改めて、オランダが気持ちいいほどに気の通りのいい場所だったのだと思った。オランダの人は他人が持っている気にあまり影響を受けないというけれど、それは地形や都市の形状から来る影響もあるのかもしれない。

東京は本当に山谷の起伏が激しく、そして、人工物の中で過ごす時間が長い。地下通路を歩く人たちはいつも足早にどこかを目指し、カフェでパソコンはスマホを見つめる人たちは画面の向こうの世界に思考を巡らせている。抜け殻たちが残していく灰色の気が、谷に、地下に、窓のない空間の隅に溜まっていく。ここで生きていくには、感覚のどこかのスイッチを切って、感じることに鈍感でいなければいけないかもしれない。そうやって自分を守りながらも、心を交わせる誰かとの出会いを探し続ける。

そんな中でも、想いの炎を消さずに業界の慣習と戦い続けたり、人の喜びをつくりだそうとしている人たちがいる。そういう人たちがいる限り、私は日本の外から日本に関わり続けるのだろう。

東京までの飛行機の中で観た、『旅するダンボール』が印象的だった。路上や店先で放置されている段ボールから財布を作っている島津冬樹さんを追ったドキュメンタリー映画だ。消費者・廃棄をする人から、自ら作り出す人へ。そんな転換が広がっていけば、この街の持つ気も変わっていくのだろうか。生産と消費、光と影、絶望と希望。この街はまさに、本来一つであったものの中に線を引きできた境界たちが作り出す分節された世界が折り重なってできている場所なのだと思った。2019.03.28 09:13 Tokyo