まだ思考が目覚めていないけれど、今朝の夢について、少しだけ覚えているので書き留めてみようと思う。私は学校の運動場のような場所にいた。サッカーの試合のようなものが始まるようで、その中にいる同級生のような人たちに「さっきのある?」と声をかけられる。私がその前におにぎりのようなものを食べていたからである。「さっきのはもうないけど、何か買って来ようか」と声を返し、売店を探して運動場を出た。校舎と後者の間のオープンスペースにパンが並べられており、その横に人の列ができている。お店の人のような人もいるが、列が進んでいく様子はない。「今、パンを売っていますか?」と聞くと、今は販売していないという。お店の人たちはかなりの長さになっている列に気づいていなかったようだ。「今試合をしている人たちに持っていきたいんです」と話すと、じゃあ、大きいパンを切って渡そうと言ってくれた。横に並んでいる人たちのひとめを気にしながらも、ラグビーボールを上から見たような形のザラメがまぶされたパンと、中にソーセージの入った細長いパンを選んだ。ソーセージの入ったパンは、短くいくつかにカットしてもらえるかと思いきや、なぜか縦に切り目が入れられた。それらを持って運動場に戻っていると、もう試合が終わったのか多くの人が運動場を去ろうとしていた。
この後、場面は変わり、今度は地下室のような、でも天井に入り口があり、そのほかにもどこからか光の入る明るい部屋に数人の男女とともにいた。入り口に訪問者が現れる。「この話は前にも見たことがある」と、そこにいる私は思い、その新しい物語は進行していった。(しかし、その話を前にも夢で見たことは覚えていない。)

夢の持つ意味は分からないし、その夢から意味を見出すものなのかも分からない。感情と同じように「そういうものがある」ということでそっと置いておこうと思う。夢は起きたときには忘れはじめて、なかなか書き留めることができないが、一つなんとなくここ最近(前からかもしれない)の夢に共有するのは、夢の中の私にも記憶があるということだ。夢の中で、目の前で起こることに対して、記憶と照らし合わせることがある。その記憶は「夢の中の私」のものであって、「夢を見ている私」のものとは違うと思っているが、本当にそうなのだろうか。夢の中の私は、夢を見ている私の一部でありながらも、独立した記憶を持っているのだろうか。

今日は風が強い。向かいの屋根の上につけてあったカモメの形の凧は姿を消し、遠くに小さく見えている同じ形の別の凧だけが、激しく上下に動き、翼をはためかせている。2019.03.25 8:55 Den Haag