朝昼晩の定期的な食事、そして世の中で言われているバランスの取れた食事をしなくなって半年を過ぎた。ハードな頭脳労働や運動をしている人にとってタンパク質や炭水化物、各種栄養素をバランス良く撮ることは必要なことなのだろう。しかし、私のように、身体で感じる方に軸足を置く者にとっては、体が軽やかで澄んだ状態であることが重要なように思う。今思えば、東京で会社員をしていたときはランチで満服になりその後2時間は、消化活動に脳や体中のエネルギーが奪われていた。オランダのコワーキングオフィスで一緒になった人たちはその身体の大きさの割に、驚くほど昼食が軽かった。ときにはチームで集まってゆっくりと昼食を食べているがその中身は野菜スティックや果物。オランダ人の労働生産性が高い理由の一つが、この軽い昼食(とその後の集中力)によるものではないかと思う。

今は、食事は、よっぽどおなかがすいたときに、そのとき感覚的に食べたいものを摂ることにしているが、その合間は、1時間半から2時間おきにお茶を飲んでいる。身体に余計なものが入っていると、お茶が身体に与える影響も顕著に分かる。身体を冷やすお茶、あたためるお茶。作られた時期や製法はもちろんのこと、お茶を作った人や流通に関わった人の精神状態も影響があるように思う。大きくは、薄緑に近い茶葉は気をフワッと持ち上げ、深い茶色に近い茶葉や薬草茶は気を地面に近づける働きがあるように思う。個々のお茶の持つ気と個人の相性もあるので、同じお茶を飲んでもみんなに同じ影響があるとは限らない。プーアール茶は一般的に冷えの解消に効くと言われているが、私はプーアール茶を飲むと多くの場合、手先がどんどん冷えてくる。腸内環境を良くするとも言われているが、私には利尿作用が強すぎるようだ。(それもあって身体が冷える。)

私が、薬屋さんのようなお茶やさんを開きたいと思っているのは、一般的な効能を超えて、その人の体質や体調に合ったお茶を選ぶことができるような気がしているからかもしれない。自分の身体をスキャンするように、他者の身体もスキャンすることができるのではないか。そうすれば、相手の身体の中にダイレクトに入っていくものを適切に提供することができる気がする。こうしていると、人間は口にする食べ物には比較的気を遣うが、口にする言葉には意外と無頓着だったりもする。言葉も、人の意識や状態に大きく影響を与えるが、そこに対する認識を深める教育など、ないに等しいような気がする。キャッチーなキーワードに飛びつく日本人の習性もどうかと思うが「言葉の栄養学」のようなものを作ってもっと認知を高めてもいいのかもしれない。(最終的にはお茶のように、個々に合ったものがあるということに行き着くのだろうけれど。)

お茶を淹れると自分の状態がよく分かる。気が上がっていれば茶葉をこぼしたり、湯が跳ねたり、起こることは全て自分と、それを取り巻くものに対するフィードバックなのだと思う。大切なのは、茶葉をこぼしたり、湯を跳ねさせたりしないようにすることではなく、そうなっていることに気づくことだ。表面的に取り繕うよりも、むしろ取り繕わない自分である結果、何が起こるかを観察したほうがいい。お茶を淹れるプロセスで自分の気の状態を知ることができるし、お茶を飲むことで気を整えることもできるのだと思う。最近飲んでいる福岡の糸島で作られたオーガニックのよもぎのお茶はおなかの奥の方をあたためて、気を落ち着けてくれる。自分にとって落ち着く土地で、心を込め、手をかけてつくられているからだろうか。今はまだ、日本で作られたお茶の方が身体に合っているけれど、これからオランダでの暮らしが長くなると、こちらのお茶が身体に合うようになるのだろうか。
2019.03.24 20:35 Den Haag