言葉にしていたら墨をすりたくなり、明るくなってきていたリビングで墨をすった。墨もお湯も同じだ。ゆっくりと墨を動かすと、透明だった水に細かい墨の粒子が混ざり合い、美しい黒になる。黒というのは適していないかもしれない。真っ黒ではない、だからこそ美しい墨色。

筆先の毛の部分に墨を含ませながら、「筆を半紙の上に置き、そして引き上げるまで、私は常に正しさに沿って頭を働かせ、腕を動かしている」ということに気づいた。そして、その正しさを全て手放してみたいと思った。物心つくころには兄について通い始めていた習字教室。無意識と身体に染み付いた、正しい筆運び。それは決して、押し付けられたものではなかったと思うけれど、今はその外側に出てみたい、まだ踏み込んだことのない、正しさのない墨と筆と世界との対話に身を任せてみたいと思った。

それでも正しさや規範をなぞろうと体が勝手に動く。染み付いた型があるからこその不自由さ。無意識でできることを手放すというのは、これほどにも難しいことなのか。


一本の線をただ、感じるままに引くという感覚を、生きてきた中で始めて味わった気がした。

それにしても少しでも「こう見せよう」という意図が働くと、それはどこか、無理やり力をかけるような不自然さを伴ってひいた墨の跡にあらわれるものだ。自由であることを意識するときにもうすでに、私は自由を失っている。

一本の線を引くということを通じて感じることと、それによって引かれる一本の線は、これからどのように変化していくのだろうか。2019.03.14 16:54 Den Haag